2007年 11月 18日
帛琉 |
いずれにしても、多くの人が巨体。
もともとスペインの植民地でしたが、1899年ドイツに売却。第一次大戦でドイツに宣戦布告した日本が占領。パリ講和条約によって日本の委任統治領となります。
コロールには南洋庁が置かれてパラオは南洋植民地の行政拠点となり、多くの日本人が移住しました。最盛期には2万5千人近くの日本人がこの国に暮らし、住民の4人に3人は日本人だったと言われています。
太平洋戦争時には、帝国海軍の重要拠点として連合艦隊の泊地となり、日本の誇る不沈戦艦「大和」「武蔵」も入港。1944年3月には、古賀峯一・連合艦隊指令長官が搭乗し、パラオからフィリピン・ダバオに向かった二式大艇が行方不明になる「海軍乙事件」も発生しています。
あまりマニアックな知識をひけらかすと、また「軍事オタク」とか揶揄されますね。
日本の敗色が濃厚となった1944年後半には、フィリピン奪還を目指す米軍の攻略目標となり、9月15日にはパラオ諸島南端のぺリリュー島に海兵隊を主力とする米軍が上陸。日本軍守備隊は2ヶ月以上に渡る壮絶な持久戦を経て、11月24日に力尽き玉砕。ぺリリュー島の攻防で一万名以上の日本軍将兵、約二千人の米兵が戦死しました。
戦後はアメリカの信託統治領となり、住民投票を経て1994年10月1日に独立を達成。「185番目の国連加盟国」として現在に至っています。
現在はダイビングのメッカとして名高いパラオですが、歴史的には日本とのつながりが深い国です。いつも駄文を読まされてるけど、こんなブログでもたまにはちょっと勉強になることもあるんですね。やっぱりブログっていいもんですね。それではみなさん、さよなら、さよなら、さよなら。
写真:空気銃を使ったコウモリ漁のあいまにひと休みするパラオ人のあんちゃん。コウモリ(フルーツバット)はスープにすると美味いらしい。
←昨夜更新できなかったのはyozoraさんのせいです。激ウマだよ!
by miccasharon
| 2007-11-18 11:10
| やっぱり・・・