2006年 12月 31日
津波から2年(終) |
自分にしか出来ない「両親と弟の遺体が埋まっていると思われる場所を、現場で救助隊に伝える」作業に向き合った12歳の少年の胸中はいかばかりか。
被災して独りぼっちになった夜にもう涙は出尽くしたのか、付き添いの親戚の方の前でも気丈に振舞い、父と弟と見られる遺体が発見された際も、現場で取り乱すようなことはなかったそうです。
「遺体確認の際、父親がしていた腕時計を遼平が覚えていたことが決め手になりました。遺体が発見されたときも現場で涙を見せなかった遼平が、ホテルに戻ってその時計を見せられたとたんに泣き崩れて・・・」
叔父の孝裕さんから話を伺った後、しばらく遼平君と過ごす時間があったのに、僕は遼平君にかける言葉が見つけられませんでした。
実は、今でも「あの時、気を紛らわせるような話ばかりして本音の辛い話を聞いてあげなかったのは卑怯じゃなかったか?」とか、子供とは言っても男同士、もっと本音で「男なんだから、これから一人でも頑張って生きていけよ」というような話を出来なかったもんか?」とか、いろいろ後悔しています。
「まだ子供だから」と、気を紛らわせるような話ばかりしていた僕(大人)のずるさを、かしこい遼平君はきっと感じていたでしょう。彼が帰国する際、空港で「いろいろお世話になりました」と頭を下げられ、自分のずるさがとても恥ずかしく思えたのが今でも忘れられません。
津波で家族を失ったのは遼平君だけではありません。被災各国で何千・何万人という人達が肉親を失いました。今年もレイテ地滑りの現場や、先月の台風被災地など、肉親を失った人達が慟哭する現場に何度も遭遇しました。
ジャーナリスト気取りで知ったようなことを言っても、所詮僕らの仕事は傍観者以外の何者でもありません。多少なりとも現場の人達の力にはなれないか?とは思いますが「何かあった時だけ現場に飛んでゆく」僕らの仕事は、傍から見たら物見由山の観光客と一緒ですからね・・・。
ただ、津波災害が各国でニュースとして大きく取り上げられ、それまでほとんど津波に関する知識の無かった東南アジアの人達が津波の怖さを認識するようになったことなど、現場の状況を伝えることも少しは人のためになってるんじゃないかとも思いますし、もっと正直に言うと、家族を食わせてゆかねばならないので、もうしばらくこの仕事を続けてゆこうかと思います。
せめて来年はあまり大事故・災害のない年になればいいのですが・・・。
多くの人が家族と幸せな時間を過ごせる年になりますように。皆様も良いお年を!
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by miccasharon
| 2006-12-31 00:30
| tsunami